23,小寒
小寒は、二十四節気の第23番目で、十二月節、定気法では太陽黄経が285度のときで1月5日ごろのことです。
二十四節気が冬至から小寒へと変わりました、この後の大寒を控えて、まだまだ寒気が最大にならず、故事で「小寒の氷、大寒に解く」といわれるように、実際には小寒の節気のほうが、寒さが厳しいとも感じられますが、池も凍りつき厚さを増していき、本格的な冬の訪れとなります。
次の節気の大寒とその次の節分までのおよそ1カ月を、寒、寒中、寒の内と、呼びます一年の内で最も寒い時期です。
そして小寒の初日を、「寒の入り」と言い、小寒から4日目は「寒四朗」、と言われていて、この日の
天候が、その年の麦の収穫を左右するものと信じられていました、また、9日目に降る雨は、「寒九の雨」、と呼ばれ、豊作の兆しであると喜ばれてきました、また、この寒九の日に汲んだ、寒九の水で薬を飲むと良く効く、という言い伝えもありました。
この時期、この寒さを利用して、氷餅や凍み豆腐、寒天作りなどの 、寒の仕事 が始まります、寒稽古や寒中水泳が行われるのも、この時期で、この間に寒中見舞いを出します。そして、2月初めの立春に、寒の明けを迎えます
お正月は、もともとは、祖先に感謝して、先祖の霊を祀るものでした、かつては冬と夏に、死霊崇拝の
風習があったのですが、仏教の影響が強くなるにつれて、仏教行事の盂蘭盆会と習合して、お盆で
先祖供養の行事となり、対する正月は年神を迎えて、その年の豊作を祈る「神祭り」として位置付けられるようになりました、その後、五穀豊穣の神様をお迎えし、その年の豊作を祈るようになりました。 日本の行事としては最古のもので、6世紀半ばには、すでに存在していました。
また昔は、年齢は、数え年で、1月1日に歳を1つ加えていったことから、正月は無事、歳を重ねられたことを祝うものでした、近年は、満年齢を使うようになり、そういう意味合いはなくなり、単に年が変わったことを祝う行事となっている。
「七草粥」
春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロです、
ゴギョウはハハコグサ、ハコベラはハコベ、ホトケノザはタビラコ、スズナはカブ、スズシロはダイコンのことです、
これらの、七草を入れたお粥を、七草粥といいます、1月7日に食すことで、邪気を祓い、無病息災が得られると言われていました。
古来より、萌え出たばかりの七草の新芽を食べることで、新しい生命力を身につけようと願をかけたものでした、
現代では、年末年始の、暴飲暴食で疲れ傷んだ胃腸を、優しい七草粥で整える効果があります。
「鏡開き」
1月11日には、鏡開きがおこなわれます、年神様にお供えした鏡餅をお下げして、雑煮や汁粉などに入れて食します。鏡餅は神聖なものなので、包丁などの刃物は使わず、木槌などでたたき割るということが、ならわしでした。
古代の日本人は、言葉には魂が宿り、その霊力で、言葉に表したことが現実のものになると信じていたそうです。そして、縁起の悪い言葉を避け、それを別の言葉に置き換えるという習慣を受け継いできました。鏡割り、とはいわず、鏡開き、ということも、その名残のひとつです。
七十二候
初候 芹乃栄(せりすなわちさかう) 1月5日〜1月9日頃
芹が生え始める頃です、芹は春の七草のひとつで、冷たい水辺で育ちます。一箇所から競り合って生えていることから、芹(セリ)と呼ばれています。
食べると爽やかな香りと歯ざわりが特徴です。奈良時代には既に食用とされていた記録が古事記や万葉集に残されており、平安時代には宮中行事にも用いられ、
正月7日に一年の豊作や無病息災を祈って食べる「七草粥」として、現代にも定着しています。
次候 水泉動(しみずあたたかをふくむ) 1月10日〜1月14日頃
地中で凍った泉の水が溶け、動き始める頃です、まだまだ空気は冷たく、地上のあらゆるものが凍りつく寒さ厳しい時期ですが、地中では陽気が生じていて、春に向けて少しずつ動き出しています。一年で一番寒さの厳しい大寒に向かいながらも、自然界では着々と春への準備が進んでいます、また、水泉とは、湧き出る泉 のことをいいます。
末候 雉始雊(きじはじめてなく)1月15日〜1月19日頃
雉が鳴き始める頃です、雄が雌への求愛のしるしとして「ケーンケーン」と甲高い声で鳴きます。雉は日本の国鳥で、古名をキギスまたはキギシといい、それが転じて「キジ」になりました。宮廷や貴族の間では美味なるものとして好まれていて、雉子の切身を焼いて熱燗の清酒をかけた「御雉子 (おきじ)=雉子酒」は、天皇が正月の祝いに用いたとされています。