
24,大寒
大寒は、二十四節気の第24番目、十二月節で定気法では太陽黄経が300度のとき、冬の最後を締めくくる節気で、1月20日~2月3日ごろです。
一年で、寒さが最も厳しくなる頃で、暦便覧では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明しています。
春はもう目前なのですが、ますます寒さ厳しいこの頃は、寒稽古や寒垢離 (かんごり)、寒念仏 (かんねぶつ) などの寒行が行われます。
二十日正月
二十日正月(はつかしょうがつ)とは、日本の行事で、1月20日のことを指し、この日は正月の納めの日、または仕事始めの日とされていて、新年の季語です。
また、この日はお正月にお迎えした神様が、早朝に元の場所へお帰りになる日です。古くは新年の祝い収めとして仕事を休む習わしがあり、家事などで忙しかった女性が里帰りをしたり里帰りから戻ったりしました。そして、正月のお供え物や飾り物などを、この日に、すべて片付けて、正月の行事を終えるのです。
西日本では正月に欠かせない鰤の骨や頭で、鍋や団子にして食べつくすことから「骨正月」「頭正月」とも言われています。
寒の水

小寒と大寒、その次の節分までのおよそ1カ月を、寒、寒中、寒の内と、呼びますが、この大寒の期間、寒の内の間に汲んだ水のことを寒の水と呼びます
この時期の水は、雑菌が少なく体にも良いとされてきました。また、長期保存に向いているとされ「寒の水」で作られた味噌、醤油、酒は腐らないといわれています。中でも、寒の入りから9日目に汲んだ寒九の水は薬にもなるといわれるほど良質とされ、酒造りにおいて最高の酒ができるといわれています
大寒卵

大寒の日に生まれた卵は、通称「大寒卵」と呼ばれ、この卵を食べると運気が上がると言われていました。 卵は栄養価が高く、冬にこの卵を食べることで、滋養強壮にいいと考えられていました。 また、昔は、冬に産卵が減るニワトリが、大寒の頃に卵を産み始めることが多かったことも由来しています
大寒卵は、無病息災や、健康運の願いも込められていました、風水では、黄身の色が濃いことから、金運が上昇するとされていて、縁起の良いたまごとされていました。
節分

大寒の行事といえば、節分です。立春の前日のことで、節分は「季節を分ける」という意味があり、暦上の春である立春の直前の日が節分とされます、通常は2月3日が多いですが、数年に一度ずれることがあり、2025年の立春は2月3日であるため、その前日の2月2日が節分になります。
節分の起源は古代中国の陰陽五行思想に基づいています、陰陽五行思想では、季節の変わり目に不安定なエネルギーが発生するとされ、このエネルギーが「邪気」として現れると考えられていました。この思想が日本の節分に影響を与えました。「季節を分ける」という意味の「節分」は、四季それぞれの節目で行われる行事として位置づけられましたが、立春前日の節分が特に重要視されるようになったのです。
奈良時代に中国から二十四節気が伝来して日本の暦が誕生しました、その中で「立春」が新しい年の始まりとされ、その前日である節分が重要視されました。
平安時代には、宮中の儀式として、節分の日に邪気を祓う「追儺」が行われるようになりました。鬼を追い払う儀式として、節分が儀式的な意味を持ち始めました。この「追儺」の儀式が、後に豆まきなどの形で一般庶民の間に広まりました。江戸時代になるとは節分が家庭内で行われるようになり、豆まきが一般化したのです。この日の夜に、煎った大豆を「福は内、鬼は外」と唱えながらまくのは、厄払いのためです。他にも、柊の枝に鰯の頭をさしたものを戸口に挟み、邪気を払うという習慣もできました
豆まき
豆まきは、豆まきでは、鬼を邪気や災厄の象徴と見立て、豆を投げることでそれを退散させます。
「鬼は外、福は内」という掛け声には災厄を追い払うと同時に、福を招き入れるという願いが込められています。邪気を祓い、新しい季節を迎える準備として行われます。
豆まきの豆は、「魔を滅する」が「豆」と音が似ていることから、厄除けの象徴とされていて、特に炒った豆は「鬼の目(魔)を射る(炒る)」という語呂合わせも含まれています。また、節分の豆まきで使用される豆は「福豆」と呼ばれ、一度火で炒られることで、生命力を象徴する食品としての意味があります。
恵方巻

今では節分の風習として定着した恵方巻ですが、この行為は、大阪の商人が商売繁盛を祈願して
始めたものとされています、また、江戸時代末期に、遊郭での縁起担ぎとして商売人の間で広まったという説もあります。その後1970年代に大阪のコンビニチェーンが節分の販促キャンペーンとして恵方巻を売り出したことで全国的に知られるようになりました。現代では節分の重要な風習として定着しています。
七十二候
初候 「欵冬華(ふきのはなさく)」1月20日〜1月24日頃

凍てついた地面にふきのとうの花が咲き始める
頃です、厳しい寒さの中で黄色いつぼみを出す
ふきのとう地面には雪が積もり、寒さが襲ってくる時期ですが、草花は春に向けて着実に動き出しています。雪解けを待たずに顔を出す款冬とは
フキのことで、その花茎をふきのとうといいます。冬に黄色の花を咲かせるところから、冬黄がつまって「ふき」になったと言われます
次候 「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」1月25日〜1月29日頃

沢の水が氷となり、厚く張りつめる頃です。この時期に、一年での最低気温の記録がでることが
多く、氷点下に達する地域も多くみられます。
大気の冷えがまさに底となるこの時期、池や沼の水面の氷は、溶けたり凍ったりを繰り返しながら厚みを増していきます。
末候 「雞始乳(にわとりはじめてとやにつく)」1月30日〜2月3日頃

鶏が春の気を感じて、卵を産み始める頃です、
自然な状態の鶏は、日照時間が長くなるにつれ、産卵率が上がっていくため、春から夏にかけてたくさん卵を産みます。乳すとは、鳥が卵を産むという意味です、鶏の産卵期は春から初夏にかけてで、本来、卵はその時期にしか生まれない貴重品でした、卵の旬は2~4月。春の卵は、母体の中でゆっくり時間をかけて成熟していくため、栄養価が高くなるといわれています。
大寒は、一年で寒さが最も厳しい頃です、そしてこの1年続けてきた、このコラムも二十四節気、立春からはじまり、この大寒で終了となります。
大寒の最後の日が節分、翌日は立春、暦の上では春、これからは、日が次第に長くなり、少しずつ暖かくなっていきます。「三寒四温」という言葉のように、厳しい寒さが3日続くと、その後の4日は暖かくなり、寒い中にも少しだけ春の気配を感じられるようになります。
投稿 泰成明