二十四節気 第22節「冬至」日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也

22,冬至

冬至とは、二十四節気の第22番目で12月節、定気法では太陽黄経270度時の頃のことで、暦便覧には「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明しています。太陽が軌道上、もっとも南にくるときで、夏至と反対で、一年の中で夜がもっとも長く、昼が短い、そして、昼の太陽の高さも、もっとも低いところで昇る日のことです。夏至から徐々に、日照時間が減り続け南中の高さも一番低い位置になることから、太陽の力が一番衰える日と考えられてきました
中国では、冬至は「日短きこと至る」という意味があり、この日から新年の始まる日とされ先祖を祀る習俗がありました。「冬至、冬中、冬始め」という、ことわざがあるように、冬至は、暦の上では冬の真ん中ですが、本格的な冬の寒さや厳しさは、冬至のころから始まります。

一陽来復(いちようらいふく)

冬至のことを一陽来復とも言います、これは中国の「易経」に出てくる言葉で、冬至の日は一年でもっとも昼の時間が短くて夜が長くなります、そして、冬至を過ぎる、少しずつ昼の時間が長くなり、春に向けて動きはじめます。中国の昔の暦では10月はすべてが陰の気で覆われていて、11月になると陽の気が復活し、冬至を境に長くなっていくとされています。つまり、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるされていて、そのために、新しい年が来るという意味の他にも、悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味も込められているのです。
早稲田の穴八幡などの神社では「一陽来復」のお守りが配られます。

中国では、冬至に小豆粥を食べて、疫鬼を払うという風習がありました、赤い色は魔除けとして邪を払うと考えられていて、この習慣は平安時代に貴族の間にも伝えられていました。
一方、日本では、かぼちゃが栽培されて食べられるようになったのは江戸時代に入ってからで、江戸時代の中期頃になると、冬至にかぼちゃや小豆粥を食べ、ゆず湯に入って無病息災を願うことが広がりました。野菜の少ない冬場に、冬に収穫されて保存もきき、栄養価の高いかぼちゃは、風邪や中風の予防に良いとされたのです。また、冬至を境にして「運が向いてくるように」というゲン担ぎから、「ん」がつく食べ物は、「運がつく」として、好んで食べられるようになりました。なかでも、名前に「ん」が2つある食べ物は「冬至の七種」と呼ばれ、冬至に食べると縁起が良い食べ物とされています。
また、5月の端午の節句には菖蒲湯に入り、12月の冬至にはゆず湯に入るという習慣も、江戸時代に広まりました。冬至に体を清めるとともに、香りの強いゆずで邪を払うと考えられていたようです。

七十二候

初候「乃東生 (なつかれくさしょうず)」 12/21~12/25頃

七十二候が冬至の初候に変わり、乃東が芽を出し始める頃となりました。乃東とは、冬に芽を出し夏に枯れる「夏枯草」の古名です、紫色の花を咲かせる「靫草 」の漢方名でもあります。
靫草 は、山野の草地に群生して、夏至の頃に枯れるのですが、この枯れて茶色くなった花穂が「夏枯草」です。「夏枯草」は、古くから漢方として用いられ、この生薬を煎じて飲めば、利尿・消炎作用があり、煎液は、ねんざ・腫物・浮腫の塗り薬として、また、うがい薬にも用いられます。花の形が矢を入れる「うつぼ」という道具に似ていることから付けられました。今回の候は、夏至の初候「乃東枯(なつかれくさかるる)」と対になっています。

次候「麋角解 (さわしかのつのおつる)」 12/26~12/30頃

七十二候が冬至の次候に変わり、オス鹿の角が落ちる頃となりました。オスの鹿は一年に一度、角が根元から自然に取れて、春にはまた新しい角が生え始めます。「麋」とは、「なれしか」というトナカイの一種の大鹿、またはヘラジカのことだとされています。生え始めの角には、毛が生えていて柔らかく、中には血管も通っていますが、秋頃になると角の内部がだんだんと骨のように硬く変化していきます。このように、木の枝のような立派な角に変わっていきます。

末候「雪下出麦 (ゆきわたりてむぎのびる)」 12/31~1/4頃

七十二候が冬至の末候に変わり、降り積もる雪の下で、麦が芽を出す頃となりました。麦は越年草で、秋に種をまいて、翌年の初夏に収穫します。
寒さにも強く、辺り一面が雪に覆われていても、その下ではひっそりと芽吹き、暖かい春をじっと待っています。その後すくすくと育ち、6月頃、麦畑は黄金色に染まり、収穫のときを迎えます。ところで、麦は、早春にせっかく芽吹いた芽を踏む「麦踏み」をするのですが。これは日本独特の風習で、霜柱による土壌の浮きを防いで根張りを良くするため、また、麦の伸び過ぎを抑えて穂の出方を均しくするために行います。

年が明け、元日の明け方の光のことを「初明り」といいます。初日の出の前に、すでに空には、
初明りが広がっているのです。「初明り」は新年の季語で、多くの俳人に詠まれています。
「初あかり そのまま命 あかりかな」 能村 登四郎
身の引き締まるような寒さの中で見る初明りは、生きている実感や、1年の希望を感じさせてくれるものです。
初日の出を見る時は、その前に初明りを味わうことも重要です。現在の太陽暦では、冬至の期間は年の瀬から新年へ移り変わる時期にあたります。1年を締めくくって、気持ちよく、明るい新年を
お迎えください。
みなさまのご多幸をこころよりお祈りいたします。

                     投稿 泰成明