12、大暑
大暑とは、二十四節気の第12番目で、定気法では太陽黄経が120度のときで、7月23日ころのことです。
7月の後半、「大暑(たいしょ)」の頃は、梅雨も明け、暑さが最も厳しくなるときです。
この頃から、セミの声が響きわたり、空には入道雲、激しい雷雨に襲われる事も、盛夏の日々のはじまりです。
江戸時代の暦の解説書、暦便覧には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されています。
『暦便欄』では、「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されています。
土用の丑の日
大暑の期間にあたる夏の土用は、1年の中で最も暑さが厳しく、江戸時代、この期間の丑の日を「土用の丑の日」と重視していました。
土用とは「土旺用事」の略語で、「土が旺盛にはたらく」という意味があります。古代中国に伝わる、数々の占術の基礎でもある五行説には、この世のすべては、木・火・土・金・水の5つの要素でできているという思想があり、春に水、夏に火、秋に金、冬に水を当てはめると、土に当たる季節がないことから、季節が変わる前の期間を4等分して土に当てたといわれています。
そして、丑の日は、十二支の丑にあたる日で、土用の期間中の丑の日を「土用の丑の日」と呼び、特別な日として体をいたわり、精がつくものを食べることが行われてきました、また、丑湯と言われる薬草を入れた風呂に入ったり、土用灸をすえたりすると、夏バテ回復などに効き目があるとされていました。
年によっては、土用の期間に丑の日が2回訪れることもあります。この2回目の丑の日を「二の丑」といいます。2024年は7月24日、二の丑は8月5日です。
土用の丑の日に鰻
鰻にはビタミンA群や、B群などが多くふくまれていて、疲労回復、食欲増進などの、効果があり
夏バテ対策として食べられるようになったのですが、古く、万葉集に、大伴家持が「石麻呂に われ物申す 夏痩に良しといふ物そ 鰻取り食せ」という詩が詠まれたように、1200年以上前の奈良時代に、すでに夏バテに鰻が食されていました。。
そして、江戸時代になると「土用の丑の日」に鰻を食べることが一般的になっていましたが、当時は天然の鰻で、旬は冬のため、夏は味がこってりしっている蒲焼きはまるで売れませんでした。
そんな鰻屋の主人が売上げを上げようと、平賀源内に相談したところ、「本日、土用の丑の日」という看板を出すよう提案、源内の効果もあり、その店は大繁盛、その後、他の鰻屋も真似するようになり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣が定着したと言われています。
さらには文政年間に、神田和泉橋通りの春木屋善兵衛と言う鰻屋が、大量の蒲焼きの注文を受けて、夏の子、丑、寅の日に3日続けて蒲焼きを作ったところ、丑の日に焼いた鰻だけが悪くなっていなかったことから、丑の日に鰻を食べる風習が生まれたという説もあります。
薮入り
藪入りの語源は諸説ありますが、藪の深い田舎へ帰るからという説や、宿入り(実家へ帰ること)が転訛したという説もあります。
江戸時代に、商家などに住み込みで働いていた奉公人でもあった丁稚や女中、またお嫁さんが嫁ぎ先から故郷の親元へ帰ることができた休日のことで、旧暦の1月16日と7月16日の2回あり、夏のお盆の頃のものは「後(のち)の薮入り」ともいいます。
また、この藪入りは落語の題材にもなっています。
ちなみにこの日は閻魔大王の休日でもありました。
御手洗祭り
京都の大暑の期間に執り行われるお祭りに、下鴨神社で斎行される「御手洗祭り」があります、
律令制の確立以降、朝廷が万民の罪やけがれを祓う儀式の「大祓」と、民間信仰の影響を受け形成された「水無月祓」などとが混交して、参拝時に、水で清めるという礼儀作法が加わった形で成立した「祓」の神事です。
下鴨神社の御手洗池は、7月の土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでるところから、鴨の七不思議にかぞえられています。土用の丑の日に御手洗池の湧き水に足を膝まで浸して献灯し、無病息災を祈ると疫病や脚気にかからないと信仰されており、今日ではガン封じなど無病息災を祈ってお祓いをうける「足つけ神事」で土用の丑の前後10日間は終日賑わいを見せます。
大暑期間の七十二候
初候 7月22日〜7月26日頃 桐始結花 きりはじめてはなをむすぶ
盛夏を迎える頃に、桐の花が卵形の実を結びはじめます。桐は、神聖な木とされていて、豊臣秀吉などの天下人が好んだ花で、現在でも日本国政府の紋章として使用されています。
桐は4月~5月に釣鐘型で薄紫色の花を咲かせ、
この頃になると、卵形の固い実がなりはじめます。桐始結花とは、この実がなる頃という意味です。
桐は箪笥にも使用されることから、昔は、女の子が生れると庭に桐を植えて育て、成長した桐の木材で嫁入り道具を作りました。
次候 7月27日〜8月1日頃 土潤溽暑 つちうるおうてむしあつし
草木が茂り、大地が潤いを得て、水分が太陽の熱で蒸発し熱気がまとわりつくように蒸し暑いころと言われています。木や草花は緑をますます濃くさせていきます。蒸し暑さをあらわす溽暑(じょくしょ)という言葉は晩夏の季語で、和暦の水無月の異称としても使われます。
ゆらゆらと目が眩むような熱気で舗道も火のように熱くなるので、「炎天」「炎ゆる」「灼くる」といった季語もあります。
末候 8月2日〜8月6日頃 大雨時行 たいうときどきにふる
夏の最後の候で、集中豪雨や夕立などの夏の激しい雨が降る頃です。青空に湧き上がる入道雲が、突然の雷鳴とともに激しい夕立になり、乾いた大地を潤します。入道雲は雲の頭が坊主頭に見えることから名付けられました、また、大粒の雨のことを「鉄砲雨」、篠竹を突くように激しく降る雨を「篠突く雨」、滝のようなすさまじい雨は「滝落し」と呼びます。最近では、突発的で予測困難な局所的大雨「ゲリラ豪雨」も多くなりました。
水無月(現在の7月頃)には雷が鳴り響く鳴神月(なるかみつき)のほか、涼暮月(すずくれつき)という異名があります。
投稿者 #泰成明