二四節気 第16節 秋分「陰陽の中分なれば也」

16、秋分

秋分とは、太陽が黄径180度を通過するときのことで、春分と同じように、太陽が真東から昇って
真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。
天文学上では、太陽が秋分点を通過した瞬間を「秋分」といい、その瞬間を含む日を
「秋分日」といいます。
太陽が真東から昇り、真西に沈むため。これまでは昼間が長く、夕方まで明るく、夜は短いのですが「秋分の日」を境に、少しずつ昼が短く、夜が長くなっていきます。それらのことから「秋分の日」は、西の彼方にある極楽浄土と、この世、現世がもっとも近くなる日とされているのです。
そして、秋分の日の前後を「お彼岸」といい、亡くなった人の御霊を偲ぶ日となりました。
江戸時代の暦の解説書でもある暦便欄では、「陰陽の中分なれば也」と記されています。

彼岸

彼岸とは、「彼の岸」すなわち「悟り、涅槃の境地」を意味し、その語源は、サンスクリット語
「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳語「到彼岸」からきています。煩悩と迷いの世界である
「此岸」から悟りの世界「彼岸」へ到達するために、「六波羅蜜」の修行を行ないます。彼岸はその修行をするための期間でもあります。
浄土思想の「極楽浄土」は西方にあり、昼と夜の長さが同じとなり、太陽が真東から昇り真西に沈む春分と秋分は、西方に沈む太陽を礼拝して、遙か彼方にある極楽浄土に思いをはせたことが彼岸の始まりといわれています。昼と夜 東と西が平行になるお彼岸の時期に、「あの世」への門が開くといわれてきました。これらのように現在では仏教の行事として説明されていますが、それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着しました。
しかし、これらの彼岸の行事は日本独自のもので、インドや中国の仏教には存在しないことから、元は日本古来の太陽信仰や祖霊信仰が起源であろうと推定されています。彼岸という言葉は、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉である「日の願い」が、「日願」となり、仏教語の「彼岸」と後々結びついて仏教行事になり、歳時習俗として生活の中に大きな存在となったともいわれています

秋季皇霊祭 秋分の日

秋分の日は戦前には、「秋季皇霊祭」と呼ばれていました。これは、歴代天皇・皇后・皇親等の御霊をお祀りする儀式を行う日のことで宮中祭祀の一つでした、
それらが、昭和23年、祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日として、秋分の日と改名されて、日本国民の生活に深く根づく祝日となりました。
また、春分の日は、自然をたたえ、生物をいつくしむ日として、同じく制定された国民の祝日で秋分の日と同じく、昭和23年を境に「春季皇霊祭」から春分の日に改名されました。このように同じ皇室行事の祝日なのですが、秋分の日と春分の日意味には大きな違いがあります。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)彼岸花

彼岸の頃、墓地や田んぼの周り、あぜ道などでよく見かける、赤く独特な雰囲気の曼珠沙華は、彼岸花の別名です。サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味をもち、秋分の日の頃に鮮やかな赤色の花を1週間ほど咲かせて、秋の終わりに葉が伸びて翌年の初夏に枯れるという、多年草としては特殊な性質を持っていやがて葉になり、冬そして春を経て枯れるというほかの植物とは異なる特徴をもっています。
もとは中国原産で、日本では秋分の日を象徴する不思議な花だ。 彼岸と此岸、あの世とこの世が最も近くなるとされる秋分の日に墓地の周りでよく見かけることから、曼珠沙華は「幽霊花」「死人花」などの別名で呼ばれることも多いまた、曼珠沙華は歌にも歌われた事でも知られていて、梵語で「赤い花」「葉に先立って赤花を咲かせる」という意味から名付けられたと言われていて、サンスクリット語の「 manjusaka」 の音写でもあり、法華経などの仏典に由来しています。

また、法華経序品によると、釈迦が法華経を説かれたときの、祝いとして天から降った花の「四華」の中の1つが曼珠沙華で、花姿は不明ですが、赤団華の漢訳から、花の色は赤。したがって、四華の曼陀羅華と同様に法華経で曼珠沙華は天上の花という意味もあります。また、別名の彼岸花の名は秋の彼岸の頃に、突然、花茎を伸ばし、鮮やかな紅色の花が開花するという事に由来していますが、別の説として、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、という説も有ります

七十二候

初候 9月22日〜9月27日頃  雷乃収声  かみなりすなわちこえをおさむ

春から夏にかけて鳴り響いた雷が収まる頃となりました。、空にはもこもことした鱗雲があらわれます。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、残暑も落ち着き、だんだんと秋の気候へと変わっていきます。今回の候は、春分の末候の「雷乃発声 (かみなりすなわちこえをはっす)」と対になっています。春分に鳴り始めた雷が秋分に収まる、それらは稲が育っていく時期と重なります。そのため、昔の人は稲妻が稲を実らせると考えていました。

次候 9月28日〜10月2日頃 蟄虫坏戸 むしかくれてとをふさぐ

寒さを覚えた虫たちが地中に姿を隠す頃となりました、活動していた虫たちが冬ごもりの支度をはじめる頃です。虫たちは秋冬が終わるのを、約半年もの間、土の中待ちます。そして、啓蟄の頃に再び姿を現します。今回の候は、啓蟄の初候の「蟄虫啓戸 (すごもりのむしとをひらく)」と対になっています。夏が終わりに近づき、外で活動していた虫たちは、冬ごもりの支度を始めます、蝶の幼虫はさなぎになって寒さに備え、テントウ虫は成虫のまま木の根元や土の中にもぐって春を待ちます。そして来年の春、啓蟄 の頃になると再び姿を現します。

末候 10月3日〜10月7日頃 水始涸 みずはじめてかるる

田の水を落として、稲穂の刈り入れを始める頃。収穫の秋まっただなかです。井戸の水が枯れ始める頃との説もありますが、稲穂が実りの時を迎えるこの時季は、畦の水口を切って田を乾かし、稲刈りに備える時季でもあります。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」これは、稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人も学問や徳が深まるにつれ謙虚になることを表した諺です。丹精込めて育ててきた稲たちは、たわわに実った頭を風に揺らしながら田んぼを黄金色に染め上げます。

投稿者   泰成明