二十四節気 第11節 「小暑」大暑来れる前なればなり

11、小暑

小暑(しょうしょ)とは、二十四節気の第11番目で、定気法では太陽黄経が105度のときで7月7日ごろの頃です。
暦便覧には「大暑来れる前なればなり」と記されています。
小暑は「小さく暑い」と書くことから、本格的に暑くなる少し前のことを指します。
暑さがだんだんと厳しくなっていく、そして、このころには梅雨明けの時期と重なり、蝉の鳴き声などが聞こえ始めます、まさに夏の訪れを感じる時期です。

小暑の7月には、夏ならではのさまざまな行事がはじまります、山開きや海開き、川開きなど、そして、梅雨明けの小暑から立秋までの期間での風習としては暑中見舞いの挨拶状を出す頃です。
また、日頃お世話になっている方に、お中元を贈る時期でもあります。

七夕

小暑の時期に行われる、大きなイベントには、星祭の行事の「七夕」があります元々は中国の行事で、「乞巧奠(きこうでん)」と言います。陰暦7月7日の夜に行われた年中行事で、織女は手芸に巧みであることから、裁縫が巧みになれるよう願うものでした。
平安時代に、乞巧奠は宮中で盛んになり、鎌倉時代になると、民間に七夕として広がったといわれています。宮中の乞巧奠は、室町時代から歌を供えるようになりましたが、中世末の戦乱以降は途絶えてしまいましたが、元禄8年(1695)に「七夕御遊(たなばたのおんあそび)」として再興し、江戸時代には民間だけでなく武家社会にも定着していきました、乞巧奠は現在でも冷泉家で執り行われており、高倉流などの衣紋の流派が神々にお供えする食事を再現するなどしています。
7月のことを「文月(ふみつき)」と呼ぶのは、七夕行事にちなんで短冊などに詩歌などの文を書き、書道の上達を祈ったことに由来しています。

京都でも数々の神社などで七夕祭として神事が執り行われていますが、京都市上京区にある白峯神宮の地主社にお祀りされている神様は、「精大明神」という蹴鞠の神様なのですが、この精大明神は、七夕の神様としても信仰を集めていて、今日でも精大明神例祭「七夕祭」が斎行され、「蹴鞠」や「小町おどり」が奉納されています。京都市内では“七夕さんのおまつり”として有名です

祇園祭

小暑の時期には、京都では祇園祭が始まります。
祇園祭は京都の祭りと思われがちですが、京都だけではなく全国にある二千三百の八坂神社でいっせいに祭りが行われます。
総本社である京都では7月1日から一か月も続く長い祭りとなり、京都は祇園祭一色となります。
「吉符入」に始まり、31日までの1ヵ月にわたり各神事、行事が繰り広げられます。
祇園祭の起源は、貞観11年(869年)に流行した疫病を鎮めるため、当時の国の数と同じ66本の鉾を神泉苑に立て、厄災の除去を祈った御霊会(ごりょうえ)と言われています。
山鉾巡行は長保元年(999年)に始まり、1000年以上にわたり病魔退散を祈願しています。

七十二候

初候 7月7日〜7月11日頃  温風至 あつかぜいたる

雲の間から注ぐ陽が段々と強くなり、熱い風が吹き始める頃です。
温風とは、梅雨明けの頃に吹く南風のことで、「白南風 (しろはえ)」と呼ばれています。ちなみに、梅雨の間に吹く南風は「黒南風 (くろはえ)」と呼ばれています。
これから日に日に暑さが増していきます。

次候 7月12日〜7月16日頃  蓮始開  はすはじめてひらく

蓮がゆっくりと蕾をほどいて花を咲かす頃です。 蓮は、水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべて花を咲かせます、まだ薄明かりの早朝から花が、開き始め、昼過ぎには閉じてしまいます。
これを3日間繰り返し、4日目には花びらは再び閉じることなく散っていきます。
「ハスは泥より出でて泥に染まらず」と言うように、優美で清らかなハスの花は、天上の花にも例えられます。

末候 7月17日〜7月22日頃  鷹乃学習  たかすなわちわざをなす

鷹のヒナが巣立ちの準備をする頃です。5~6月に孵化したヒナは、この頃に独り立ちができるよう、飛び方、獲物の捕り方を覚え、「独り」ということを一から学びます。また、「能ある鷹は爪を隠す」「鳶が鷹を生む」などの諺が言い表すように、知能指数が高いことでも知られていて、昔から人に身近な存在です、鷹を巧みに扱い狩りを行う「鷹狩り」は、紀元前一千年前頃から、中国やインドで行われていました。そして、日本で、鷹を操る「鷹匠」は、古事記にも登場するほどの長い歴史を持っています。

投稿者 #泰成明