20,小雪
小雪とは、二十四節気の第20番目で、現在広まっている定気法では太陽黄経が240度のとき
(黄道十二宮では人馬宮の原点に相当)で11月22日頃のことです
暦便覧では「冷ゆるが故に雨も雪となりて下るがゆへ也」とあります。小雪はその文字の通り、
わずかな雪がふるころですが積もるほどではない、日を追うごとに冷え込みが増していき、
木々の葉も落ちて、外はもう冬の気配ですが、冬とはいえ雪も寒さもまだ少しということから、
小雪と言われたそうです。
一方では、この時期、移動性高気圧に覆われ、平野部で暖かい日が多く、そのように、穏やかな日のことを、小春日和といいます。また、この小春日和が続くと、春が来たと勘違いしたのか、桜やたんぽぽなどの花が咲くことがあり、この花たちのことを、「帰り花」「忘れ花」「狂い花」などと呼ばれます、干天が続いたり、台風などで木が傷んでしまった年に多いと言います。
新嘗祭(にいなめさい)
新嘗祭とは、天皇陛下が、神嘉殿においてその年の収穫物である、新穀を神皇祖はじめ神々に
お供えになり、神恩に感謝され、次の年の五穀豊穣を祈った後、天皇陛下御自身も食される
宮中行事で、宮中の恒例祭典の中でも最も重要な儀式です。天皇陛下御自らご栽培された新穀もお供えになります。毎年、この日は宮中をはじめ、各地の神社で儀式が行われます。
小雪に含まれる11月23日、現在の「勤労感謝の日」は、全国の神社においても、御神前に新穀を献上し、収穫を感謝します。これらの行事は、古代から現在まで続いてきた歴史ある行事で古事記にも記録されるほどです。
下鴨神社の「新嘗祭」では午前9時から本殿の御扉が開かれ、祭儀が行われます。こうして、先人から続く収穫への感謝の形を現在まで継承しているのです。御所が京都にあった頃の京都の人は、新嘗祭の日は一日中家で慎み、宮中での神事が終わるまで寝床に入らなかったと伝えられています。
七十二候
初候「虹蔵不見 (にじかくれてみえず)」 11/22~11/26頃
曇り空が多くなる頃、陽射しが弱まり、虹を見ることが少なくなります。この候は、清明の末侯「虹始見」と対になった候です。冬は太陽からの光が弱いので、夏のようなくっきりとした虹ではなく、ぼんやりとした淡い虹になることが多く、また、たとえ見ることが出来ても、じきに消えてしまいます。夏の虹に比べ、どこかひっそりと物寂しい趣があります。
次候「朔風払葉 (きたかぜこのはをはらう)」 11/27~12/1頃
冷たい北風が、木々の葉を落とす頃。朔風とは北風のことです。地面いっぱいに広がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴であり、季節の移り変わりが感じられます。日本海を渡る時に水分を含んだ北風は、山地にぶつかり日本海側では多くの雪を降らせます。そして、山を越えた太平洋側では乾燥した風になり、「空っ風」と呼ばれます。葉を落とした木々の冬景色はどこか淋しげで、草木は一見枯れてしまったようにも見えますが、木の枝には小さな芽が出始めています。土に落ちた木の葉は「望み葉 」といい、土の中で肥料となり、めぐりめぐって春を迎える植物の栄養となります。こうして草木は新たな季節に向けた準備を始めます。
末候「橘始黄 (たちばなはじめてきばむ)」 12/2~12/6頃
橘の実が黄色くなっていく頃。橘とは、日本に自生する日本固有の柑橘類「ヤマトタチバナ」のことですが、古くは柑橘類を総称して橘と言っていました。
一年中つややかな葉を茂らせて、その葉は枯れることのない常緑樹であることから、「永遠」を意味するめでたいものとして扱われ、平安時代から御神木として宮中などに植えられてきて、家紋や文化勲章のデザインとしても用いられています。また、古事記や日本書紀において、「非時香実 (ときじくのかくのみ)」として登場するのが橘ともいわれています。不老不死の力を持つというこの果実は、田道間守 が常世国 (とこよのくに=不老不死の理想郷) から持ち帰ったと伝えられています。
投稿者 泰成明