8,小満
二十四節気の第8番目で、四月中。 現在の定気法では太陽黄経が60度のときで5月21日頃のことです。
小満とは、陽気が良くなって、万物に生気が充満する、草木が生い茂るという意味、万物が段々と成長していき、一定の大きさに達してくる頃のことで、江戸時代の暦の解説書でもある暦便覧には
「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されています。「万物」とは宇宙に存在する全てのもの、「盈満」とは物事が満ちあふれる様子という意味があります。
小満には、生き物すべてが勢いを付けて成長していく、生命力に満ち溢れるという意味もあります。
秋にまいた、麦などの作物が、一冬を越して麦畑が緑黄色に色付き始めて実る時期になり、農家の人々が小さく満足する、という事から「小満」と呼ぶようになったという説もあります。
日ごとに上昇していく気候、気温に合わせあらゆる生命がすくすくと成長していく、そんな季節です。
田植えの準備を始める頃でもあり、西日本では「走り梅雨」がみられる頃です。
走り梅雨は「梅雨の走り」とも言い、本格的な梅雨を目前にしながら、先走るようにぐずつく天候のことを指します。
小満の初候・次候・末候
初候、「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」 5/21頃
七十二候、小満の初候で、卵から孵化した蚕卵から孵化した蚕が、活発に動き、盛んに桑の葉を食べ始めるころです。この後、白い糸を体の周りに吐き出していき、繭をつむいでいきます、この繭から、美しい絹糸が生まれるのです。
旧暦の4月は、蚕の成長には欠かすことのできない桑の葉を摘む頃で、「木の葉採り月」という別名もあります
次候、「紅花栄(べにばなさかう)」 5/26頃
「紅花栄」とは、紅花が盛んに咲く頃のことですが、実際、紅花が咲き始めるのは、6月末頃です。
紅花は咲き始めは、黄色い花を咲かせるのですが、成長するにしたがい、徐々に赤い色へと、変化していきます
キク科の紅花の茎丈は時に1メートル近くまで伸び、アザミのような棘があります、その為、朝露で棘のまだ柔らかい早朝に一つ一つ、花びらを摘んで、その花を発酵、乾燥させて作られる「紅餅」はその手間からも、江戸時代末期の価値は、米の100倍という貴重品でした、またその「紅餅」から作られた口紅はかなり高価なものでした。このように、茎の末端に咲く花を摘み取ることから「末摘花(すえつむはな)」と呼ばれていて、万葉集にも登場しています。
末候、「麦秋至(むぎのときいたる)」 5/31頃
初冬の頃に蒔かれた麦が、熟して小麦色に輝くころです、麦が熟し穂をつけて、一面、黄金色に輝き、収穫の日を迎えます、百穀が成熟するこの時期は、まさに麦にとっての秋と言えることから「麦の秋・麦秋 (ばくしゅう)」と名付けられ、旧暦4月の異名にもなっています。
雨が少なく乾燥している季節ですが、間もなくじめじめとした梅雨を迎えることになります。
麦秋の候には、数々の麦に因む言葉があります、
この候に麦の穂を揺らす爽やかな風を「麦嵐」
「麦風」「麦の秋風」、その風にそよぐ穂を
「麦の波」、降る雨を「麦雨 (ばくう)」、麦の刈入れに適した日のことを「麦日和」と言います。
中国での小満
「小満」は二十四節気の中で唯一、植物の生長状態から名前がとられました、
中国の農家では、「小満になると、麦の実が少しずつ大きくなる」と言われ、この頃から、作物が成長していき、やがて大きな実をつけて、弾けるように満ちてくる、しかし、そうなるまでには、もう少し時がかかる、そんな事から「小満」と呼ばれています。気温が日に日に上昇、雨の日も多くなり、蒸し暑い夏が到来します。農家にとってはこの時期、田植えや、菜の花の収穫、蚕の養殖など忙しくなってきます、つまり、「小満」には豊作を願う、そんな思いもこめられているのです。
また、二十四節気を見てみると小暑の後は大暑が、小雪の後には大雪、小寒のあとには大寒がくるのに、「小満」の後には「大満」というものがないのですが、何故なのでしょうか。
そこには、中国文化が詰まっています。中国伝統の思想には、考えや行動は中立であるということを意味する「中庸之道」というものがあり、「大満」や「満々」などという言葉は禁物なのです、「満月が欠け始めるように、物事は絶頂期に達すると後は下り坂に向かう」という言葉の通り、物事は極点に達すると必ず逆の方向へと向かう、どんなことでも「満々」であってはならない、どんなことでも一つのことが盛んになると別のことが鎮まり、一つのことが鎮まると、別のことが盛んになるもので、つまりは、最も勢いのある時というのは、徐々に衰退に近づく、食事は腹八分と言うように、何でも、どんなことでも、少し足りないな、という程度が最も良いという知恵からきているのです。
投稿者 #泰成明