13,立秋
二十四節気が大暑から立秋へと変わりました、定気法では太陽黄経が135°になるときのことで、
太陽暦では8月7~8日ころにあたります。
暑さの峠である土用も立秋以後は暑くても暑中とはいわずに残暑と言い、季節のあいさつも
「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わります。詩歌などでは立秋からは秋が歌われますが,
7月を孟秋,8月を仲秋,9月を季秋として暦月の7~9月を秋とするのが一般的です。
まだまだ暑い盛りですが、暦の上では早くも秋の始まりです。
とは言え、日中はまだまだ、残暑が厳しく、1年の中でも特に気温が高くなる時期ですが、この立秋の日が暑さの頂点で、朝夕には少しづつ涼やかな風が吹き始めるようになります、夏から秋へと移り変わるこの時季の、暑さと涼しさが混在する空のことを「行き合いの空」といいます、巻雲などの秋の雲も見られるようになり、小さな秋の気配が感じられるようになります。
二十四節気の夏至と冬至を「二至」、春分と秋分を「二分」、そしてそれぞれの中間に存在する立春・立夏・立秋・立冬の「四立」、これらをあわせて「八節」と呼びます、季節を区分する言葉として、日本では、古来より重要な役割を果たしてきました。
盂蘭盆会(うらぼんえ)
立秋の時期は、お盆の期間と重なります。ご先祖様の霊を家にお迎えして、供養する行事であるお盆は、8月13日頃に始まるのが一般的です。
お盆の正式な名称は「盂蘭盆会」と言われています。「盂蘭盆会」の語源は、イラン系農耕民族ソグド人の言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」だとする説が有力で、その他にも、サンスクリット語で「耐え難い苦しみ」や「逆さ吊り」を意味する「ウランバナ」が語源ではないかとも言われています。
また、「盂蘭盆会」は仏教教典の中に出てくる目連のお話に由来しています。
お釈迦様の弟子の、目連尊者(もくれんそうじゃ)が、ある日、亡くなった母の様子を見てみると、常に飢えと渇きに苦しむ「餓鬼道」に落ちて、逆さ吊りにされて苦しんでいる姿が浮かんできました、母をなんとか助けたい目連は、お釈迦様に教えを乞うと、この母親は生前に、人に施しをしないで自分勝手な人間だったので、餓鬼道に落ちた、だから夏の修行が終わる7月15日に、僧侶たちを招いて、沢山の供物を盆に盛って施しを行い読経してもらい供養をしなさいと告げられました、目連が教えの通りにすると、母親は餓鬼の苦しみから救われたといいます
お盆に、ご先祖が家に帰ってこられたとき、もてなすための祭壇を精霊棚と言い、お盆の始まる8月13日の朝に掃除をした仏壇んの前に、精霊棚を設え、地域や宗派により様々ですが、位牌や焼香道具、ご飯、水、季節の果物を供え、両脇には提灯やキリコ、お花を飾ります、お盆の期間、毎日、朝昼晩にお水とご飯、おかずを供え、精霊棚に向かってお参りをするのがしきたりです。また、精霊馬、精霊牛と呼ばれるキュウリで作った馬とナスで作った牛を用意するのも、お盆のしきたりのひとつです、ご先祖様があの世と、この世を行き来する際に使う乗り物で、この世に戻ってくるときには早く帰ってこられるようにと、速く走る馬を。あの世へ帰るときには、お土産をたくさん積んで、のんびり帰れるようにと、ゆったり歩く牛をと、精霊馬、精霊牛に思いを込められています
お盆の初日の13日の夕方に、家の玄関前やお墓などで「迎え火」を焚いて、先祖の霊をお出迎えします、ご先祖様は「迎え火」の明かりを目印にして、懐かしの家に帰ってきます。燃やす物は古来から、清浄な植物と伝わる苧殻(おがら)や、ヒノキの皮、松の根などで、ほうろくと呼ばれる素焼きの皿の上に井の字型に組んで、火を点けます。そして、お盆の最後の日には、我が家でお盆を過ごした先祖の霊をあの世へとお送りするために、送り火や精霊流しを行います。送り火とは、先祖が迷わずあの世へと戻れるように、帰り道を照らすために焚く火です。玄関先やお墓など、迎え火を焚いた場所と同じ場所で炊きます。一方で精霊流しとは、お盆期間中のお供え物や飾りを、川や海に流す慣習です、流すものを真菰や藁に包んで、小さな船に乗せたものは「精霊舟(しょうりょうぶね)」と呼ばれています。
五山の送り火
秋にまつわる行事の一つには、京都五山の送り火があります。古都の夜空に、くっきりと浮かび上がる送り火は、京都の夏の終わりを彩る―篇の風物詩です。
左京区如意ヶ嶽の「大文字送り火」、左京区松ケ崎にある西山・東山の「松ケ崎妙法送り火」、北区西賀茂にある妙見山の「船形万燈籠送り火」、北区大北山にある大文字山の「左大文字送り火」、そして右京区嵯峨鳥居本にある仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」の5つを総称して大文字五山の送り火と呼ばれています。今はもうなくなりましたが、江戸時代には左京区市原野の「い」、右京区鳴滝の「一」、西京区西山の「竹の先に鈴(雀という説も)、右京区北嵯峨の「蛇」、右京区観音寺の「長刀」などもあったといわれています。
―般的に、送り火そのものは盆の翌日に行なわれる仏教的行事であり、ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意昧をもつものです。五山の送り火のはじまりについては,諸説ありますが、一説には,戦国時代に盛んに行われた万灯会(まんとうえ)が,次第に山腹に点火され,盂蘭盆会(うらぼんえ)の大規模な精霊送りの火となったのが起源といわれています。
送り火の灯りを映した、杯さかずきの水を一気に飲み干すと、無病息災が叶うという風流な言い伝えもあります.
盆踊り
盆踊りといえば、夏の賑やかなイベントとして定着していますが、もともとは死者の霊を慰めて、無縁仏や餓鬼をあの世へと送り出すという意味合いの追悼の踊りでした、また、厄払いや先祖への感謝の表現という意味があったといわれています。
盆踊りの起源は、平安時代の「空也上人」が行った「踊り念仏」であったと、いわれています。そして「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」は、鎌倉時代になると「一遍上人」によって「念仏踊り」として広まっていったのです。
お盆の期間中には、各地で盆踊りが開催されます。地域ごとに異なる踊りや音楽が楽しめ、夏の夜を賑やかに彩ります
七十二候
初候 「涼風至 (すずかぜいたる)」 8/7~8/11頃
七十二候が立秋の初候に変わり、夏の暑い風から、秋の涼しい風に替わりはじめる頃です。
まだ残暑は厳しいものの、夕暮れになるとどことなく涼しげな風が吹き、雲の色や形にも、さわやかな秋のにおいが感じられるようになってきます、日が落ちると、草むらから虫たちの涼しげな音色が聞こえ始め、季節の移ろいが感じられます。
中候 「寒蝉鳴 (ひぐらしなく)」 8/12~8/16頃
夏の終わりを告げるかのように、ヒヒグラシが「カナカナカナ」と甲高く鳴く頃を表した候です。ヒグラシは日の出前や日没後によく鳴き、終わってしまう夏を惜しんでいるかのように聞こえます。よく鳴くのは日の出前や日没後の薄暗い時間帯ですが、気温が下がると日中でも鳴くようになるそう。どこか懐かしく涼しげなその鳴き声からは、過ぎ行く夏を惜しんでいるかのような哀愁さえ感じられます。
末候 蒙霧升降 (ふかききりまとう)」 8/17~8/22頃
深い霧が立ち込める頃となりました。この時期の早朝、特に前日に雨が降って、空気が湿り気を含んでいる時に、山や水辺に白く深い霧が立ち込め、幻想的な風景が見られることがあります。「蒙霧」とは、もうもうと立ちこめる濃い霧のことをいいます。
残暑の厳しさは相変わらずですが、朝夕はひんやりとした空気が心地よく感じられる季節です
投稿者 #泰成明