24,大雪
大雪は、二十四節気の第21番目十一月節、現在広まっている定気法では太陽黄経が255度のときで
12月7日頃、大きな雪と書くように、北風が吹いて雪が激しく降り始める頃という意味が込められています、野山が白く染まり、本格的な冬の到来を感じられる頃で、江戸時代の暦の解説書、暦便覧では
「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明しています。
正月事始め
12月13日の行事としては、正月事始めがあります、読んで字のごとく、お正月を迎える準備を始めることを指しています、古来よりこの日に、門松をたてろ材料や、雑煮を炊くための薪など、正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があったとされています。
京都、下鴨神社の事始めは、御薬酒・若水神事が該当します。大炊殿の横にある御井から汲み上げた若水を京都の料理屋や和菓子屋に授けて、御神水をもとに新年に向けて調進していただくという神事です。
また、12月13日は、婚礼以外は万事に大吉とされる「鬼宿日」にあたります、そのため新年の準備を始めるのにふさわしい日とされてきました。現在でも日本各地の寺社仏閣では、この日に「煤払い」などの行事が行われます。「煤払い」とは、家の煤を払い、内外の掃除をする行事です。神社仏閣で行われる際には、ほうきでは無く、神具とされる笹竹の先に葉や藁(わら)を付けたものを使い、本殿や正門などの埃を取り除いていきます。これを「清め竹」という地域もあります。このことからわかるように、煤払いには掃除だけでなくお清めの意味も込められているのです。
針供養
針供養とは事納めの習慣の一つで、関西や九州地方では12月8日に行われています。一年通じて行われてきた家庭での針仕事も終わりにし、裁縫道具の手入れなどを行っていました。また、折れたり曲がったりして使えなくなった針へは感謝の気持ちを込めて、豆腐やこんにゃくに刺して供養します。
羽子板市
羽子板市は、正月に遊ぶ羽子板を売る市のことです、特に女の子が生まれた家には羽子板を飾るのが縁起がいいと言われていて、東京・浅草の羽子板市「納めの観音ご縁日」が有名です。
2月18日の「納めの観音」は江戸時代、12月17日、18日は「観音の縁日」の人出を見越して、境内に正月用の品や縁起物の品を売る露店が集まって、「歳の市」と呼ばれるようになりました。浅草寺の歳の市では、江戸末期の頃から、羽子板を売る店が多くなってきました、羽子突きの羽根は、害虫を食べるトンボに似ていることから、悪い虫(病気)を食べる、あるいは羽根の先端に付いている「豆」から、「まめに暮らすことができる」など縁起物として扱われ、やがて女子が誕生した家に羽子板を贈る風習が盛んとなり、羽子板を売る店が歳の市の主流となり、歳の市は、いつしか「羽子板市」と呼ばれるようになりました、現在では12月17日から19日までの3日間、境内に数十軒の羽子板を売る店が並び、店主の口上と客とのやりとりは、師走の浅草の風物詩となっています。
千本釈迦堂 大根焚き
大雪の7日、8日に、京都市上京区の千本釈迦堂(大報恩寺)では、大根を食べて無病息災を祈る師走の風物詩「大根焚き」が執り行われます。
修行中のお釈迦さまが悪魔の妨害や誘惑に屈せず、12月8日に悟りを開いたことにあやかった法要「成道会」にちなんだ行事で、鎌倉時代、大根の切り口に梵字を書いて参拝者の魔よけとし、他の大根と一緒に炊きあげて参拝者に振る舞ったのがはじまりという。
当日は、境内に設置した直径約1メートルの大鍋で、法要後に梵字を書いた大根を加持祈祷し、輪切りにしてお揚げとともに焚き込んだものがふるまわれます。
中風除け、諸病除けのご利益があると言われています、多くの参拝者が訪れる姿は、京の師走の風物詩となっています。
七十二候
初候 閉塞成冬 (そらさむくふゆとなる) 12月7日〜12月10日頃
天地の気が塞がれ、冬がおとずれる頃です、空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめています。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でとることもできます。山はすっかり雪化粧をし、平地にも寒風が吹き、全国的に冬一色になる季節です
次候 熊蟄穴 (くまあなにこもる) 12月11日〜12月15日頃
熊をはじめ、動物たちが冬ごもりをする頃となりました。秋になり、ドングリや山ブドウが実ると、それまで草を食べていた熊は、これらの栄養価が高い木の実をたっぷり食べるようになります。そして、皮下脂肪をたくわえ、穴にこもり、冬眠して春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。
末候 鱖魚群 (さけのうおむらがる) 12月16日〜12月20日頃
鮭が川を遡上する頃です、海で育った鮭は、産卵のために自分の生まれた川へと里帰りをします。
鮭が群れをなして川を上っていきます。川で生まれた鮭は、海で大きく育ち、産卵のために故郷の川へと帰っていくのですが、古来の人々は、この「鮭の遡上」を神秘的なものとしてとらえてきました。
投稿者 泰成明