春分
地球の赤道を延長した天の赤道と、太陽の通り道である黄道がちょうど交差したところが黄径0度となり、太陽がちょうど黄径0度(春分点)に到達した瞬間を「春分」と言います。
名前の由来は、現在でもおこなわれている皇室の行事で「春季皇霊祭」からで、皇霊祭は歴代の天皇、皇族を祀られていて、現在の皇族の方々も出席される宮中祭祀です。
戦前の日本において、この二つの祭祀はとくに重要なものとされていました。そのため、「自然を讃え、生物を慈しむ日」として1948年に「国民の祝日に関する法律」によって祝日に制定されました。
春分の日には、太陽はほぼ真東から昇り、ほぼ真西に沈みます。
昼と夜の長さがほぼ等しくなる日で、この日までは、昼よりも夜のほうが長かったのですが、春分の日を境に、昼の時間が少しずつ長くなっていきます、ヨーロッパな欧州では、春分の日をもって春の始まりとしています。
「暑さ寒さも彼岸まで」と云う様にお彼岸でもあり、この日から、日に日に暖かさが増し、本格的に春らしくなってきます、お彼岸とは春分の日を中日として、前後3日間のことで、初日を彼岸の入り、最終日を彼岸の明けと呼びます。
また、春分の日はご先祖さまを供養したり、お墓参りをしたりする日としても知られています、春分の日が、お彼岸の中日にあたるからです。
この日は、西方の仏の住む極楽浄土と現世が交わる日とされていて、これがお彼岸の起源になったとも伝えられています。
太陽が真西に沈む、春分の日の前後は、ご先祖さまが住む、極楽の世界と現世とが交流しやすい時で、仏教国の中でも日本独特の信仰と伝えられています。
仏教においては、あの世とこの世がもっとも近づくと時期とされているため、現代においてもこの期間に、お墓参りに行ったり、仏壇にお供えをしたり、寺院においては彼岸会という法要がおこなわれることもあります。
お彼岸のお供え物として春分の日には「ぼたもち」秋分の日には「おはぎ」を食べる習慣があります。
小豆の赤色には魔除けの効果があると考えられていて、ご先祖様へのお供え物として定着したようですが、「ぼたもち」と「おはぎ」の違い、ご存じでしょうか、実はどちらもおなじ食べ物なのです、春分、秋分で呼び名が違うだけで、ぼたもちは春のお彼岸に食べる、牡丹の花が咲くころで「牡丹餅」また、おはぎは秋のお彼岸に食べる、萩の花が咲くころで「お萩」となったようです。
昔は、秋は収穫したばかりの小豆を粒あんにし、春は冬を越して乾燥した小豆をこしあんにし、おはぎは粒あん、ぼたもちはこしあんで食したという説もありました、昔は砂糖が高級食材で頻繁には食べられなかった要因も大きかったようです。
投稿者 #泰成明