令和6年5月18日、京都ガーデンパレスに於いて、第72期通常総会と、基調講演、懇親会を開催致しました。
泰志龍理事長のご挨拶
京都府易道協同組合・第72期総会・講演会・懇親会、おかげさまをもちまして無事に終えることが出来ました。
第二部の講演会では、同志社大学文学部 名誉教授の廣田 收 先生に『紫式部と陰陽道』のタイトルでお話しを頂きました。

なんと廣田先生御自身は易や陰陽の世界と無縁であったにも関わらず、今回の講演会のために研究を重ね、平安時代の世の中における暦や占いの世界のことを調べて資料を作成してくださっていました。
お恥ずかしながら私自身は『源氏物語』をまともに読んだことがなかったため、一体どんな風に陰陽道が関係してくるんだろう?と興味津々だったのですが・・。
天文密奏、物忌みや方違えをはじめ、中国から伝わってきた知識と当時の世相が絡み合っていろいろな技法が生まれていったのですね。
・当時から人々は人生の節目節目で暦を確認したり占いを頼ったりしていた。
・医学薬学の発達していない時代、疫病の対策は「隔離」と「祈祷」が基本。おそらく紫式部の父親もこの時期の疫病で早くに亡くなっている。
・空海が唐より「宿曜道」を持ち帰っている。
・陰陽道祭祀や、物忌み、方違えなどについては神道祭祀や仏教祭祀と平行して行われている。大河ドラマでも安倍晴明が反閇(へんばい・特殊な歩行法)や呪詞を披露していた。
このような世の中の状況が『源氏物語』の中身にも反映されているとのことでした。
廣田先生の恩師でいらっしゃる、土橋寛先生は「“私はどこから来たのか?”を教えるのが神話だが、“私はどこへ行くのか?”をぉしえるのが仏教だ」とおっしゃっていたそうです。それに対して陰陽道はもっと現実的で切迫した課題に対して“まさに今”応えるということが求められているもので、神・仏・陰陽道が争うことなく棲み分け共生している状態が“習合”ということなのですね。
さて、私が特に心に残ったのは『源氏物語』のラストシーン。
この時代の女性達の主題は「地獄のように閉じ込められた檻」からの救い。来世への希望があるかないか?を問うているもので、紫式部もこのような女性達の生き方を通して自らの生き方を模索していたのではないかということです。
源氏物語の最後は、モラハラストーカー男(薫)から逃れて入水自殺をはかった女性(浮舟)が、出家して世俗から逃れたいと願うものの、自分を救ってくれた僧侶も結局は貴族の息のかかった人物であったため、薫のもとに戻るように言われてしまい、薫から自分のモノになるように・・と迫られているところで終わるというのです。
後の鎌倉時代には「念仏を唱えれば救われる」という教えが出てきますが、紫式部の時代ではそのような救いの思想もなく、より哀しさが浮き上がってきますね。
この時期の「教団仏教」つまり貴族権力や派閥に所属している寺院や僧侶では救えない存在があった。これは、今でも気をつけないといけないことかと思います。宗教や占いに頼っても依存しているだけでは正しい方向に導かれるとは限らない。だから“自分軸”を持たなくてはならないのではないか?紫式部は物語をあえてこのような場面で終わらせることによって、そんなことに気づくためのヒントを残したのではないか?と、そんな風に感じました。
泰 志龍


懇親会
京都府易道協同組合 第72期総会。懇親会には組合員、そして多くの御来賓の皆様に御参集頂き、和気藹々と楽しい時間を過ごすことが出来ました。
本当に嬉しいことです。
京都府易道協同組合では、年に数回、このようなイベントを開催しておりますので、御興味を持って頂けましたら是非御参加下さいね。





